1 日でフォロワー 1000+ 増えた、俺がやったこと
6 月に X を本気で運用したら、1 日でフォロワー 1000+ 増えた。この記事では当時やったことと、もらった反応を記録する。
Chen Dahuang
独立开发者

原文は X Articles に公開。
1 日でフォロワー 1000+ 増えた後、俺は呆然とした。
ここ数日 X の Premium+ が 6 割引きで、これはすごいと思った。6 月 13 日に会員を買って、6 月 14 日から真面目に運用しようと思った。
15 日になったら、トラフィックが立ち上がった。1 日でフォロワーを 1000 人以上増やしやがった。

これは成功学でもなければ、オカルト的なアルゴリズムを教える記事でもない。俺自身まだ手探りだ。ただこの 2 日の実践で、すごく強く感じたことがある。
多くのことは、実際にやらないと理解できない。他人がフォロワーを増やしてるのを見てると、いつも「あいつは裏情報があるんじゃないか、方法論があるんじゃないか、神秘的なトラフィックの暗号があるんじゃないか」と思う。
でも自分が本当にガツガツ投稿して、ガツガツ絡んで、ガツガツ営業し始めると、物事はそんなに複雑じゃないと分かる。
ソーシャルプラットフォームで最も中核的なものは、実はインタラクションだ。
あなたのコンテンツがどれだけの議論、反応、リツイート、いいね、コメントを生むかで、おおよそトラフィックの上限が決まる。
プラットフォームは慈善団体じゃない。あなたが頑張ってるからといって、突然全員にあなたを推してくれるわけじゃない。
P+ を入れてもダメだ。P+ は優先順位を上げてくれるだけ。
プラットフォームが見るのはフィードバックだ。他人が立ち止まりたいか、クリックしたいか、返信したいか、リツイートしたいか、ブックマークしたいか、あなたと関係を持ちたいか。
一つのコンテンツを「議論の現場」にできるかどうか。そこが肝だ。
アカウント運用で、いきなりアルゴリズム研究、投稿時間の研究、ハッシュタグの研究、レイアウトの研究、いわゆる「バズる構造」の研究から始める人が多い。研究に研究を重ねて、最後には自分が研究疲れしてしまう。
本当の問題は、彼がそもそも表に出ていないことだ。投稿しない、あるいは投稿しても極端に少ない。コメントしない、あるいはコメントしてもいい加減。リプライしない、あるいは相手がリプライしてきても、いばって応じない。
彼は暗がりに隠れた観察者で、毎日他人がどうバズるか観察してるのに、自分は本当に人の輪の中に立とうとしない。
でもソーシャルプラットフォームは決して観察者を褒美にしない。褒美をもらえるのは「現れ出た者」だ。
世の中に出るなら、一番大事なのは「出ること」。
俺は 6 月 13 日に Premium+ を開通し、6 月 14 日から本格的に運用を始め、15 日にはフォロワー 1000+ に達した。この中で Premium+ が確かに効いてる。それは認める。
P+ の価値の大きな部分は、他人のコメント欄で前の方に表示されやすくなること。
他人のコメント欄で自分の位置が前になれば、見られる確率が上がる。見られる回数が増えれば、インタラクションの機会も増える。インタラクションが増えれば、アカウントが動き始める。
でも言っておく。Premium+ は魔法の杖じゃない。どちらかというと増幅器だ。あなた自身が動かなければ、増幅できるものもない。P+ を入れても、投稿せず、コメントせず、リプライせず、他人と関係を持たなければ、何の意味もない。
せいぜい良いポジションをもらえるだけで、そこに立って何を言い、何をし、どんな印象を与えるかは、結局あなた次第だ。
ソーシャルプラットフォームに誤解を持つ人が多い。フォロワー増は「天地を揺るがすコンテンツを一本投下すること」で成り立つと思ってる。もちろん、バズるコンテンツは重要だ。
でも普通の人にとって、最初に現実的な道は「神回を絞り出すこと」ではなく、「まず自分を生かすこと」だ。
自分が「生きてる人」だと他人に見せなきゃいけない。意見があり、感情があり、レスポンスがあり、価値のある人間だって。プラットフォーム上に存在感を作らなきゃいけない。存在感は空想から来るのではなく、一度一度の出現の積み重ねで育つ。
人が初めてコメント欄であなたを見ても、何も感じないかもしれない。
二回目に見て、「ちょっと見たことある」と思う。
三回目に見て、あなたのアイコンを覚え始める。
四回目、五回目になると、あなたのプロフィールをクリックして、一体何者か見に来るかもしれない。
その後、あなたが投稿してるのを見ると、ついでにいいねをしたり、一言返したり、リツイートしたりするようになる。
いわゆる「人望」も、いわゆる「アカウントの勢い」も、本質的にはこうやってじっくり育てられるものだ。
だから今の俺の X への理解はすごくシンプル:まず出力、次にインタラクション、それから振り返り、また出力、またインタラクション。
出力のハードルを下げる
ここまで読んだら、豆包(Doubao)入力法をインストールするのを強くおすすめしたい。
この豆包入力法のすごいところは何? その音声認識の正確さだ。
「言出法随(言った通りに実現)」とは?「言ったら必ずやる」とは?「口から一万文字噴き出しても直す必要なし」とは?
豆包入力法はそういうレベル。(豆包入力法マニアと呼んでくれ)
もちろん、本当に慣れないなら微信入力法でもいい。微信入力法も音声文字変換機能を出したが、正確率はそこまで高くない。
これは何がいいのか? 字を書くハードルを極限まで下げられる。頭で考えてることは、口に出してることであり、そのままツイートに送るものになる。時間コストも出力コストも極限まで下がる。
俺にとって最大の助けは、出力の抵抗をすごく低くしてくれたこと。直接口元から噴き出すように、思いついたまま話せる。まず構造を気にせず、修辞を気にせず、完璧かどうかを気にしない。
先に頭の中のものを全部出してしまう。一息に一万文字噴き出して、そのうち 8000 文字が無駄な話でも構わない。残り 2000 文字の中に、本当に役立つ意見が隠れてるかもしれないから。
「じゃあ、なんで AI に書かせないの?」と聞く人もいる。
AI が書いたものには、生きた人間の感じがない。
それに AI とやり取りするにも、豆包入力法で意見を出してから、AI に直してもらうことになる。
そんな時間で AI とゴチャゴチャやるなら、俺はもう 3 本投稿できる。
多くの人が伸びないのは、アイデアがないからじゃない。書くことを真に受けすぎてるからだ。
ツイートを一本出す前に、半日考える。この意見は浅すぎないか? この表現は上品さに欠けるか? この文は完璧じゃないか? バカにされないか? 反応ゼロだったらどうしよう? 誰かに叩かれたらどうしよう?
正直、こういう内耗(自分を削る思考)がいちばん足を引っ張る。
コンテンツ一本のコストは極端に低くて、リターンはめちゃくちゃ高いかもしれない。低コスト・高リターンのことは、卒業論文を書くみたいに構えなくていい。
磨くのはもちろんいい。でも大前提は、まず動き出すこと。考えがまとまってから投稿するのではなく、投稿しながら考えがまとまっていくことが多い。
ものを外に投げ出さなければ、永遠にフィードバックはもらえない。フィードバックがなければ、改善はない。改善がなければ、前に進まない。
書けない人には、書いてる最中に自分を裁いてる人が多い。2 文字打って「ダメだ」と思い、1 文書いて「普通すぎる」と思い、1 つの意見が出たら「誰かもう言ってるだろ」と思う。
これで高頻度で出力できるわけがない。だから一番いい方法は、まず話すこと。音声入力の最大の利点は、「完璧な文章を書かなきゃ」という心理的負担を迂回できることだ。
友達と雑談してるつもりで、先に話して、後から直せばいい。
X はスキマ時間の運用にすごく向いてる。毎日わざわざ午後まるまる一本、書く時間を空ける必要はない。
トイレで用を足すときに豆包入力法で一段しゃべる。
エレベーターを待つ間にコメントに数件返す。食事前に他人のプロフィールを流し見して、寝る前に今日のアイデアを振り返る。
このプラットフォームはテンポが速くて、自然と断片的な表現向きだ。
スキマ時間を使いこなせば、1 日に露出とインタラクションの機会が何倍にも増える。
具体的な人間として現れる
ここで言う露出は、必ずしも実写の写真を載せることだけを指さない。具体的な「個人」として現れる勇気のことだ。抽象的な意見の後ろに永遠に隠れてはいけないし、ツールアカウントみたいに冷たく情報を垂れ流してもいけない。ただ、やっぱりホントに実写写真は用意した方がいい。
外国人のプラットフォームで実写写真を掲げるのは、かなりお得なことだ。外国人は、実写写真のある人を「詐欺師っぽくない」と見る。
人がアカウントをフォローするとき、情報そのものだけを見るんじゃなく、その人を見てることが多い。あなたの判断、好み、感情、経験、話し方。それらが合わさって、ようやく他人の記憶に残る「あなた」になる。
世の中に出るなら、一番大事なのは「出ること」。何も怖がるな:間違うのが怖い、無視されるのが怖い、叩かれるのが怖い、誰かに見られるのが怖い、自分が専門的でないのが怖い。ソーシャルプラットフォームでもっとよくある問題は、そもそもあなたの存在を誰も知らないことだ。
多くの人が準備ができてから始めようと思う。アイコンができるまで、プロフィールが書けるまで、立ち位置が定まるまで、コンテンツ体系が組めるまで、自分がすごく専門的になるまで。問題は、全部準備できた頃には、他人はずっと先に走り出してるってことだ。アカウントは頭の中で作られるものじゃない。実際のインタラクションの中で育つものだ。投稿し始め、見られるようになり、フィードバックをもらって初めて、どこを調整すべきか分かる。
内耗に出力を食い止めさせるな
最近ますます思うのは、コンテンツ作りで一番怖いのはレベルの低さじゃなく、心理的負担が重すぎることだ。レベルが低ければ鍛えられるし、意見が浅ければ深められるし、表現が下手なら直せる。でも毎日内耗し、毎日悩み、毎日投稿したいのに投稿できないのなら、それで終わりだ。
ツイートという動作は、絶対に軽量化すべきだ。それは人生の判決じゃない。一言間違えたからといって、永遠にメシが食えないわけじゃない。ほとんどのコンテンツは、出したらすぐ流れていく。調子が悪ければ振り返る。調子が良ければ、なぜ良かったかをまとめる。誰かに問題を指摘されたら、役立つ部分だけ吸収する。本当に投稿がダメでも、なにもことはない。次をちょっと良く書けばいい。
高頻度で出力するのは、ゴミを量産しろということじゃない。手応えを素早く作れということだ。どんな表現が見てもらえるか、どんな題材が話題になるか、どんなタイトルがクリックされやすいか、どんな意見が議論を呼ぶか。こういうものは机の前で空想しても出てこない。投稿して、試して、ぶつかって初めて出てくる。
だから今の俺の心法はこうだ:コストが極端に低く、リターンが極端に高いことは、絶対に何度もガツガツ試すべきだ。ツイートはまさにそれ。毎回バズる必要はない。投稿し続け、インタラクションし続け、振り返り続け、的中率を上げ続ければ、いつか必ず何かにぶつかる。
他人に少し価値のあるものを届ける
自分を表現するのはもちろんいい。でもはっきりさせなきゃいけない:他人はなぜ見るのか? 情報、経験、気づきを得られるからか、それともただ楽しいからか?
有益なものは必ずしもチュートリアルだけじゃない。他人の時間を節約してあげる、遠回りを防いであげる、あるいは単に笑わせてあげることも、全部「有用」だ。
今回のフォロワー増で、Cloudflare 関連のポストが一本流量で伸びて、かなりのフォロワーも運んできた。後で考えたんだけど、なぜあれが伸びたのか? 俺が高尚に書いたからじゃない。一部の人にとって本当に役立ったからだ。見た人が「おい、これは今すぐ使える」と思い、「これは今まで知らなかった情報だ」と思い、「このリストのおかげで時間が節約できた」と思い、「この視点は現実的だ」と思ったからだ。

これが利他(他者への貢献)だ。
毎日他人に役立つものを投稿していれば、他人は自然にフォローしてくれる。毎日情報格差、ツール、経験、判断、振り返りを提供していれば、他人は「このアカウントは価値がある」と思う。大 V がこんなにフォロワーを貯められるのはなぜか? 本質的に彼らが価値を提供し続けてるからだ。一番手の情報をシェアするか、宝ソフト・ツール・リポジトリをおすすめするか、方法を教えるか、落とし穴を避けさせてくれるか。見終わって「この人、便利すぎる。絶対フォローだ」と思う。
だから「どうやってフォロワーを増やすか」じゃなく、「何を手伝えるか」を逆に考えろ。ずっと助け続けられれば、フォロワーはただの結果だ。
他人のコメント欄に自ら出向く
投稿し終わったら他人がいいねしてくれるのを待つ人が多い。このスタンスは受け身すぎる。新アカウントで誰も知らないのに、なんでみんなが率先して来てくれるんだ? まず自分が出て行かなきゃ。人の輪の中に自ら歩いて行き、自らコメントし、自らいいねし、自ら応え、自ら関係を築く。
これは無理やり雑談しろとか、どこにでも「応援してます」「勉強になりました」「最高です」をコピペしろと言ってるんじゃない。ああいうコメントは意味がないし、誰も覚えてくれない。他人のコンテンツをちゃんと読み、ちゃんと自分の意見を二言言うべきだ。事例を一つ補足するだけでも、質問を一つするだけでも、本音の感想を一つでも、いい加減なのに勝る。
もう一つ、すごく役立つ小技がある:
人をフォローするとき、フォローして終わりにせず、その人のプロフィールをしばらく流し見しよう。最近何を投稿してるか見て、共感したものに数件いいねをして、何人かの投稿に真面目なコメントを数件残す。
相手が通知を開くと、あなたが何度も出てくるのが見える。「適当にフォローしたんじゃなく、本当に自分のコンテンツに興味があるんだ」と感じる。人は、真剣に向き合われるとグッとくるものだ。
いいねを惜しむな。コメントを惜しむな。いいねは金じゃないし、コメントも命じゃない。あなたが他人に応えれば応えるほど、他人もあなたに応えてくれる。
ソーシャルプラットフォームの関係は、一回一回の小さなインタラクションで築かれる。今日はいいねを一つ、明日は一言返す、明後日はコメント欄に意見を一つ足す。じわじわと、人に覚えてもらえる。
これは現実の友人作りとすごく似てる。隅っこに座って一言も話さず、会場の全員が自ら声をかけてくるのを待ってはいけない。歩み寄って、挨拶して、話に混ざり、議論に参加する。
X も同じ。他人に「あなたがいる」ことを知らせる必要がある。
自分のコメント欄に真面目に返す
あなたのコメント欄はゴミ箱でも、データパネルでもない。あなたのツイートに返してくれる人は、みんな価値のあるネットの友達だ。特にアカウントがまだ小さい初期段階では、返してくれる一人ひとりが大事に値する。
他人がコメントしたら、できるだけ返す。相手が真面目に一節書いてくれたら、真面目に受け止める。相手が情報を補足してくれたら、感謝する。相手が冗談を言ってきたら、ノって返す。アカウントの雰囲気は、こうやって少しずつできるんだ。あなたが熱心なら、他人も来やすくなる。あなたが冷たければ、相手はもう来ない。
多くの人が主投稿ばかり見て、コメント欄をないがしろにする。実はコメント欄そのものが二次拡散だ。コメント欄でのあなたの返信は、他の人にも見られてる。面白く、意見があり、温かみのある返信をすれば、他人は「この人、ちゃんと生きてる。コンテンツを流すだけの機械じゃない」と思う。
もっと大事なのは、コメント欄のやり取りが多ければ多いほど、コンテンツそのものの生命力も長くなることだ。
コメント欄を小さな社交場だと思え。ここに書き込んでくれる人たちは、みんなお客さん。来てくれた人を接待なしで放置してはいけない。積極的に応えて、ここに来れば「見てもらえる」「反応してもらえる」「往復がある」と感じてもらう。
そうすれば、あなたのアカウントは徐々に「温かみのある場所」になっていく。
車輪語(内容のない繰り返し)を減らす
この時代に一番足りてるのは「正しいだけの空虚な言葉」だ。「継続的な出力が大事」「コンテンツは価値が必要」「長期主義を貫こう」「個人ブランドを作ろう」。どれも正しいけど、あまりに空っぽだ。見ても何も感じない。一万回は見てきた文句だから。
判断のあるコンテンツこそ、覚えてもらいやすい。
意見は世間を驚かせる必要はないが、判断は必須だ。何が有用で何が無駄か、何をやる価値があって何が罠か、何が過大評価されてて何が過小評価か、自分はどう考えてるか、なぜそう考えるか、自分の経験は何か。言う勇気が必要だ。
意見のないコンテンツは、ぬるま湯のようなもの。
誰も傷つけず、誰も感動させない。覚えてもらいたいなら、永遠に安全な言葉ばかり言ってはいけない。自分なりの角(エッジ)が必要だ。もちろん、喧嘩するための喧嘩とか、叩くための叩きをやれと言ってるんじゃない。本当に自分自身の判断を持つということだ。
車輪語がいちばん役に立たない。
さんざん語っても、相手は「うん、そんな気がする」と思って、そのまま流していく。
本当に役立つコンテンツは、見た後の反応が違う:おい、その通りだ。おい、俺もそう思ってた。おい、この視点は考えたことなかった。おい、これはブックマーク必須だ。おい、この人けっこうやるな。
自分を AI みたいに書くな
今のコンテンツプラットフォームには明らかな問題がある。多くのものがどんどん AI が書いたみたいになってることだ。文は整ってるし、構成はきれいだし、語気は正しいし、表現は礼儀正しい。でも人味がない。どこも正しく見えるのに、見ても何も覚えてない。
人はなぜあなたをフォローするのか? あなたの一言一言が完璧だからじゃない。あなたがリアルな人間みたいだからだ。
あなたには感情があり、経験があり、好みがあり、判断があり、時には言い間違いもする。時には焦るし、時には熱くなるし、時には思わず汚い言葉も出る。
そういうものは欠点じゃなく、むしろ「生きてる人間の感じ」の一部だ。
もちろん、無脳に発狂しろとか、他人に乱雑にぶっかましろと言ってるんじゃない。要は、自分を完璧に飾りすぎるなということ。完璧な文章は必ずしも拡散力がない。リアルな表現こそ人を打つ。
少し粗い自分を許して、感情を持つ自分を許して、八方美人じゃない表現を許すと、むしろ他人に「リアルな人間」と思ってもらいやすい。
この時代、人が生きてる感じ(活人感)は本当に大事だ。AI はきれいな文章を書けるし、完全なフレームワークをまとめられるし、標準的なアドバイスを出力できる。でも AI が代わりに生きることは難しい。
あなたのリアルな経験、その場の感情、判断と好み、言葉のクセ。それこそが、あなたと他人を違えているものだ。
だから完璧な AI に自分を変えるな。完璧さはそんなに大事じゃない。リアルこそ大事だ。
アイコンと名前は覚えてもらいやすく
これはまだ完全には考えがまとまってないけど、けっこう大事だと思う。覚えてもらえるアイコンと名前が必要だ。次に相手がコメント欄であなたを見たとき、一発で思い出せるように:「ああ、この人か」と。
特に X みたいに高頻度で情報を流し見するプラットフォームでは、アイコンと名前はあなたの看板であり、識別記号でもある。
グローバルユーザーを相手にするなら、実写真の方が有利かもしれない。多くの外国人は確かに実写真に慣れてる。実写真でないと、無意識に「ボットかも、マーケティングアカウントかも、詐欺師かも」と思われるかもしれない。
もちろん、これは中国のインターネットでは必ずしも当てはまらない。国内では抽象アイコンでも問題ない人も多いから。でも外国人のプラットフォームでやる以上、多少はそのプラットフォームの社交習慣に合わせるべきだ。
アイコンはイケメンである必要も、プロっぽい必要もない。でも少なくともリアルで、クリアで、識別力は必要だ。
名前も覚えにくいものはダメ。何度も見られるうちに、頭の中に安定した印象が形成される必要がある。
アカウント初期で一番怖いのは記憶点がないこと。10 回見られても誰だか思い出せないのは、損すぎる。
過程も書け
意見だけ投稿するな。過程も投稿していい。例えば今日どうやってフォロワーを増やしたか、どのコンテンツが良かったか、どの動作が効果的だったか、どの判断が間違ってたか、どんなフィードバックをもらったか、何を学んだか。
振り返り型コンテンツは他人の興味を引きやすい。リアルな過程、データ、経験、ハマりどころ、感情が全部入ってるからだ。
特にゼロから 1 になる段階では、振り返りそのものがコンテンツだ。
他人は結果だけ見たいとは限らない。どうやって達成したかも見たい。過程を書けば、他人は参考価値があると思う。あなたはゴール地点に立って大師のフリをするのではなく、走りながらシェアしてる。この状態こそリアルだ。
今回この記事を書いたのも、実は振り返りだ。X を理解したとか、究極の方法論を掴んだとかは口が裂けても言えない。でも少なくとも、この 1 日あまりの体験は書き出せる。
どの動作が効いたと思ったか、どのことが明確なフィードバックになったか、どの場所が自分の当初の想定と違ったか。そういうのは他人の役に立つかもしれない。
知ってることと、できることは別
百の理屈より、直接やり始めることに勝るものはない。プラットフォームを研究してもいいし、方法を学んでもいいし、他人のやり方を見てもいい。でも最後は行動に落とすしかない。
投稿する、コメントに返す、プロフィールを見る、いいねする、フォローする、振り返る、また投稿する。この程度の動作は、聞けば普通すぎる。でも本当に毎日やり続ける人はそんなに多くない。
多くの人はやり方を知らないんじゃない。やらないんだ。方法がないんじゃなく、実行が足りない。ひらめきがないんじゃなく、行動が足りない。
「もっと投稿しろよ」と言えば「分かってる」。もっと絡めと言えば「分かってる」。利他が大事だと言えば「分かってる」。問題は、知ってることはできることの代わりにならないってことだ。
アカウント運用は、最初にあまりオカルトに構えないこと。まず毎日アクティブになる。毎日意見のある内容を数本投稿し、毎日真面目に何人かにコメントし、毎日自分のコメント欄に返し、毎日どの投稿が効いたかを振り返る。しばらく続ければ、必ず前より手応えが増してる。
俺は今、こんな言葉をますます信じてる:ソーシャルプラットフォームが報いるのは、現れ続ける人だ。現れなければ、他人はあなたを忘れる。現れ続ければ、他人はやっとあなたを知り、理解し、信頼し、フォローする機会を得られる。
世の中に出るなら、一番大事なのは「出ること」。
待つな。まず投稿してから言え。